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ぴおねろの森を
つくった理由は?
私が「不登校」に関わることになったのは約3年前でした。我が子たちの突然の不登校に動揺し、孤立感と将来への不安でどうしたらいいのかわからなくなりました。なぜそのような感情になるのでしょうか?それは「子どもは学校に行くのが当たり前」という風潮だったり、自分の中の根深い価値観だったり、日本の制度の問題もあるでしょう。しかし「不登校」を理解するために学び進めていく中で、私は多様な学び方をしている子ども達や、それを支え共に生きる大人達に出会い、たくさんの勇気をもらいました。
【不登校の現状】
戦後、憲法が定められ、「すべての子どもの教育を受ける権利」が保障されました。しかし同時に不登校の小中学生の数も増え続け、現在約24.5万人、急激な増加を示しています。この背景には、平成28年「普通教育機会確保法」が成立、初の「不登校支援法」であり、不登校は問題行動ではないこと、休みの必要性や学校外の学びの重要性を認めた画期的な法律が誕生。さらに令和元年、文科省より「学校に登校」という結果だけを目標にするのではなく、「社会的自立」を目指す必要があるとした通知が発表されたこともあり、学校や教員、保護者の対応の変化も増加の要因であると考えられています。また長期休み明けの自殺者があとを絶たないことを踏まえ、メディアからの呼びかけも活発になりました。さらに多様な生き方への理解ある若い世代の増加など…。これらの現状からみると、不登校増加の背景は、子ども達が無理をしなくなった「緩和」「改善」という見方もできるのかもしれません。
しかし、子どもの自殺者が過去最多を更新し、生きづらさが加速している中、私が何より悲しいのは、自己否定感や劣等感を抱え、苦しみながら生きている不登校の子どもが多い現状です。ある講師の方が「不登校は命と制度のミスマッチ」だとおっしゃいました。多様な個性をもった命を既存の制度にはめ込むのではなく、多様な命を尊重し、その権利を守る仕組みが必要なのではないかと。だから私は声をあげることにしました。すべての子ども達が「自分は自分でいいんだ」と実感できる居場所を創りたいと。
【学びたい場所で、学びたいことを、自分のペースで学ぶ】
学校に行っていない子は何も学んでいないんでしょうか?じゃあそもそも「学び」って何だろう?その原点に帰るきっかけを与えてくれたは、不登校の子ども達です。そんな子ども達が発する命の叫びにもっと耳を傾け、これからの教育に役立てていくべきだと私は考えます。また今後ICT教育が加速していく中で、もはや教室に縛られることなく、学べる時代がくるでしょう。そして社会も多様な学び方が当たり前になっていき、いつしか「不登校」という言葉や概念すら消滅し、子ども達がもっと自由に学べる時代がもうすぐそこまできているのかもしれません。また近年ホームエデュケーションを選ぶ子ども達も増えている中、まだまだ支援やネットワークが足りず孤立しがちです。
だからこそ学校以外で学ぶ子どもと親の居場所になれたら…
また親同士が学び合い、支え合えたら嬉しいです。そしていつか多様な学び方を子ども自らが選択でき、認め合える社会になるように手を繋ぎませんか?
「ぴおねろの森」がそんな希望に満ちた居場所になるように、地域の力をお借りしながら精進していきたいと思います。

大切なこと
●生きているだけで祝福される居場所
●すべての子どもが安心して通える居場所
●自由と自治を学ぶ居場所

ぴおねろの森って
どんなところ

生きているだけで
祝福される居場所
みんな個性豊かな人間であり、その違いを尊重します。
自分のことは
自分で決める
「ぴおねろの森」にはカリキュラムはありません。
それぞれが自分の過ごしたいように過ごします。
絵を描きたい、ゲームがしたい、本を読みたい、勉強がしたい、
サッカーがしたい、料理、実験、ものづくり……などなど、
自分がどう過ごすか自分で決めます。何もしない自由もあります。
みんなのことは
みんなで決める
場を開いていく中で、子ども達から様々なニーズや要望が出てくるでしょう。
「ぴおねろの森」ではみんなでやってみたいこと、ルール作りなど…
子どもも大人も平等の一票を持った「ミーティング」によって決定していきます。
自由であると同時に自治を学び、自らが属する居場所に責任を持つことを学びます。
子どものやりたいことを
応援します
「やってみたい!」を大切にします。強制ではない好奇心が入り口の学び、
子ども中心の学びを追求します。
子どもの最善の利益を
追求します
「ぴおねろの森」は学校復帰を目的とした場所ではありません。
逆に学校に通うことを否定している場所でもありません。
100人いれば100通りの幸せの形があり、
その子に合った学び方、生き方を尊重します。
ぴおねろってなに?

スペイン語で「開拓者」という意味です。
特に学校以外で学ぶ子ども達にとっては、日本の制度や社会の理解が追いつくまでは人一倍険しい道に感じることもあるでしょう。
だからこそ、すべての子ども達が自分らしい道を切り開き、
力強く生きていってほしいという願いと共に、
日本の教育の開拓者という意味も込め、名づけました。